「今日からコトバを変えてみませんか?」

コトバが環境を変えていくことを知り、明るいコトバを使う大切さを伝える内容にします。

 

(相談文)

Q:同僚の悪い面ばかりを見て落ち込んでいます

 

 私の勤務先は少人数で、私以外は全員男性です。そのため入社を戸惑いましたが、良い就職先が見つからず、この会社に入社を決意しました。ところが、毎朝、私の課の業績の悪さを支店長から指摘され、朝から気持ちいいものではありません。さらに私が女性なので周りから色々なことを注文され、ストレスがたまります。気分屋の男性達に気を使いながら接することにイライラし、みんなの悪い面ばかりを見て自己嫌悪し、落ち込んでいます。この状況をどうすれば変えることができるのでしょうか。

                           (U・S、27歳、女性)

 

 

回答

 

男性ばかりの職場に女性一人というのはなかなか辛いものがありますね。あなたの同僚や先輩の中にひとりでも女性がいればお互いに助け合ったり、悩みを打ち明けたりすることも出来ると思いますが、あなたの職場では課での業績がなかなか上がらないという状況のなかで、おそらく男性社員もストレスがたまり、女性であるあなたに対してますます辛くあたるという悪循環になっているのではないでしょうか。

職場にとって女性は花であり、女性は職場の雰囲気をとても明るくしてくれます。その花であるあなたが刺々しい雰囲気では、職場はますますギスギスしたものとなり、お互いに悪い面が目に付き、お互いにイライラするという、こんな状況にある課では業績が上がらないのも無理はありません。

生長の家では、「日時計主義」という素晴らしい生き方があります。「日時計主義」とはすべての光明面を見る生き方であり、世の中の明るい面や素晴らしい面に注目して、それを「コトバの力」を使って、すでにある素晴らしい「神の世界」をこの地上に現す素晴らしい生き方です。生長の家総裁・谷口雅宣先生は、『この「日時計主義」こそ、実相独在の信仰と唯心所現の真理を体現した生活の実践だからです。つまり現象的にはまだ「光明」が充分現れていなくても現象の背後にある実相を信じて、それをコトバで認め、引き出すことで、地上に「光明」が現れる』(『日時計主義とは何か?』P132)とお説きくださっています。

コトバには実現力があり、あなたが常に使っているコトバの通りに人生が展開され、あなたは自分の発したコトバ一言、一言と出会うことになります。

聖典には「この世界はことごとく自分の心の展開であるから、自分の心が生まれ変わることは自分の環境が一変し、自分の生活が一変し、自分の肉体の健康が一変することを意味するのである。われわれが心に強く描いてそれを見つめるところのものが現象界にあらわれてくるのである。これが現象顕現の法則である。だから私たちは、人を見るのに、人を悪人だと見て、それを善導しようなどと思っては、決して相手の人々を教化して善ならしめることはできないのである。“悪人”と見れば、そしてその人の“悪”を心で見つめれば、悪は一層ハッキリと現象化しきたって収拾がつかなくなるのである。」

(谷口 雅春著 『聖経 真理の吟唱』「新しき天地に生まれる祈り」 P138)

したがって、あなたが今の状況を良い環境に変えたいと思うならば、上司を始め、職場の男性一人ひとりを祝福し、いつも明るい笑顔で相手の良い面を見て、讃嘆のコトバを掛けてみてはいかがでしょうか。ある人が上司に挨拶しても碌に返事もしてもらえず、いつも冷たくされておりましたが、ところがある日「感謝してます」と大きな声で挨拶したら、その日から上司がとてもやさしくなり、よく面倒も見てくれるようになったという体験を話してくれたことがあります。あなたが良いコトバをたくさん使うと、言葉それ自体の意味や影響力によって、あなたの心がどんどん活性化し、想像力が広がり、気持ちもますます盛り上がってくることに気付くでしょう。あなたが優しい笑顔で相手の素晴らしい面をみて、褒めて良きコトバを常に発するように心がけていれば、必ず職場は明るくなり、課の業績もぐんぐん上がり、みんながあなたに優しくし、感謝するようになるでしょう。男性は笑顔の素敵な女性に褒められ、励まされると実力以上の力が出るものなのです。

 

 

 

 

 

愛語よく回天の力あり

道元禅師

 

徳あるは讃むべし、徳なきは憐むべし。

怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること愛語を根本とするなり。

知るべし、愛語は愛心より起こり、愛心は慈心を種子とせり。

愛語よく廻天の力あることを学すべきなり。

ただ能を賞するのみにあらず。

 

 

「面(むかい)いて愛語を聞くは面(おもて)を喜ばしめ、心を楽しくす。面わずして愛語を聞くは、肝に銘じ、魂に銘ず。
愛語よく回天の力あることを学すべきなり。」道元禅師

面と向かって優しい言葉をかけられれば、自然と顔に喜びがあふれ、心が楽しくなる。

また、人づてに優しい言葉を聞いたら、その言葉が心に刻まれ、魂がふるえる。

それは、愛語が人を愛する心から生まれ、人を愛する心が、他人をたいせつに思う心の中から、芽生えてくるものだからです。

 

本当に、優しい言葉というのは、世界を変える力があるのだということを、私たちはよくよく学ばなければいけません。

勇気を与える言葉は直接相手に伝えた方が、心に響きます。

褒める言葉は直接よりも第三者を通じて伝えた方が、心に響きます。

戒めの言葉は誰も居ない所で教える方が、心に響きます。

伝え方を間違えれば相手に恥をかかせることにもなります。
そして心に傷をつけてしまう事もあります。

もっと言葉に敏感になってはどうでしょうか。

現代社会はルールに拘束されながら文字で情報を伝える為に、言葉の持つ力を重要だと思わなく成ってしまったのではないでしょうか。

言葉には実現力があると知れば

一言・一言をとても大切に使うのではないでしょうか。

生きる為の言葉、愛の為の言葉、慰めの言葉、希望の言葉、感謝の言葉、残りの言葉数を数えながら使うとすれば決して疎かにする事は出来ません。

 

スポーツ選手やアスリートが競技場に出る前に監督やコーチから声を掛けられます。
今日のコンディションに合わせて自信が沸き起こる言葉を掛けるのです。

アーティストがステージに出る前にもスタッフが声を掛けます。
お客様の状況を伝えながら興奮度を上げて行く言葉です。

「初めてのお使い」と云う番組で子供が買い物に出かけます。
ママのお願の言葉で冒険に出かけるのです。

そして泣きながら目的を達成しママに抱き締められて「ありがとう」の言葉をご褒美で頂くのです。

みんな言葉の魔法で勇気がでたり、傷ついたり、元気になったり、喜んだりします。
そんな大切な言葉を疎かにせずに大切にしたいものです。

愛語よく回天の力ありです。

言葉は人生を大きく変えることが出来るのです。

 

 釈迦牟尼世尊はかくの如くして、五百人の大弟子たちに、それからまた学すべき弟子や無学にてもそのまま悟れる境地にある弟子たち二千人に対して、更に進んでは法華経の一句一偈を読み又は聞くことを得たすべての人々が、結局、「仏に成れる」と伝う記を授けられたのであります。吾々が、「仏に成れる」と伝うのは、既に仏の実相がたとい肉眼には見えなくとも吾々の生命の内部にはあると伝うことであります。それは、やがて朝顔朝顔の花が咲くのは、種子の中に、肉眼にはまだ見えなくとも、既に朝顔の花がある―あるからこそ顕れてくるのであって、無いものが肥料その他の結合によって現れるのだったら、肥料の配分の具合によっては、朝顔の蔓に梅の花が咲くかも知れない筈であるけれども、けっしてそんな事はない。朝顔の種子からは唯朝顔の茎、葉、花が伸び咲くのみであります。すなわち朝顔の種子の中には既に「朝顔の花」が、現成しているのであります。その既に現成せる花が現象の世界に顕現するのには、色々の条件、過程、方便等が要るのでありますが、それは、条件、過程、方便等によって創造されるのではなく、どこまでも既にあるものが現成するのであります。五百弟子が仏になるのは、既に彼らが仏であるからであります。吾々が法華経を読み、また法華経に書かれている真理と同じ言葉を読み、また聞くことによって、仏と成ることが出来るのは、その「真理」のコトバが「実相」を引き出すからであります。何故「真理」のコトバが実相を引き出すかと申しますと、吾々の実相は「神のコトバ」(神の生命波動)であり、真理のコトバはそれと同意味、同波長を有っているからであります。

                   (谷口雅春先生著『幸福生活論』より)

 

 

 

 

 

三つの幸福

 皆さん方がどういう心がけで人生を送っていかれたら、どんなによくなるかということを、「三つの幸せ」というお話をさせていただきたいと思います。

 

①「してもらう」幸せ

 皆さんが生まれてから、お腹がすいて顔じゅう口みたいにして大きな声で泣くと、お母さんがお乳をくれます。

おしめが濡れて泣くと、おしめを取り替えてくれます。

抱っこしてもらいたと思って泣けば、抱っこしてもらえる。

抱っこしてもらったり、お乳をもらったり、おしめを取り替えてもらうと、いままで顔を真っ赤にして泣いていた赤ちゃんは泣き止むというふうに、何かをしてもらうとうれしい。

 これは「してもらう」幸せです。

 

②「できるようになる」幸せ

 三つくらいになると、それまで母親から食べさせてもらっていたご飯を、自分で食べたくなります。

母親が食べさせようとすると、お茶碗と箸を取って、自分で食べようとします。

いままでできなかったことができるようになるとうれしいから、ご飯をポロポロこぼしながらでも自分で食べるようになります。

もう少し大きくなりますと、自転車に乗れる、鉄棒ができるようになる、学校でいままで飛べなかった跳び箱が飛べるようになるというふうに、いままでできなかったことができるようになると、うれしくてとても幸せなものです。

そういうふうに、いままでできなかったことが「できるようになる」幸せがあります。

 

③「してあげる」幸せ

 三番目がいちばん大事ですが、皆さんがお父さんやお母さんから何かを頼まれて、それをやってあげると、お父さんやお母さんは非常に喜びます。

あるいは、友達に何かしてあげると、友達が喜ぶというふうに、「何かをしてあげる」と、人がとても喜びます。

そして、人が喜んだ姿、喜んだ顔を見たときに、自分が幸せになります。

これがもっとも大事な幸せです。

 いつも人に何かをしてもらわないと幸せになれない人、それから、自分さえできればいいという考え方のような人では駄目で、人に「何かをしてあげる」幸せが大事だということです。

 この三番目の幸せを感じるようになると、どんどん人生はよくなっていきます。

 どうしてよくなっていくかというと、この「(して)あげる」幸せのできる人の周りには、非常に善良な、「人のいい」人たちが集まってきて、そのいい人たちと人生を送ることができるようになるからです。

 これからの「新しい文明」の構築は与える喜びを感じる人たちがどんどん増えることで地球に築かれます。

 

「本来の愉しさを呼び出す」

 人間の生命は「神の子」である。

本来幸福なように、本来愉しいように創られているのである。

「これさえ得られれば私は幸福になれるのに」とか、「何々に勝てば私は愉しくなれるのに」とか考える人があるけれども、そのような快楽や悦びは、常に必ず覆るものであるというのは、それらの快楽や悦びは、常に外界に左右されるものであるから決して安定したものではないのである。真実の愉しさと悦びとは内から生ずるものである。

人間は神の子であるから、常に呼び出せば呼び出し得る“内在”の愉しさと悦びとを有するものである。内からなる愉しさと悦びとを呼び出すようにせよ。

さすれば動揺することなき安定を得た常住の愉しさと悦びとを常に味わうことができるのである。その呼び出す方法は、常に自己を神の子として賛美し、他の人々も神の子として賛美し、すべての事物に感謝することである。

谷口雅春著:『新版 栄える生活365章』より)

感謝の心こそ、人生のエネルギー源


「感謝の心こそ、人生のエネルギー源です。」
 
天地万物、心の眼をひらいて見れば、悉く神のいのちのあらわれである。其処に無数の啓示と教えとがダイヤモンドの如く輝いているのである。それを見出すものあれば、見出さないものもある。
 
空気も、水も、日光も、家も、着物も、天地万物ことごとく神のいのちの表現である。
感謝して受ける心はこれらを浄め、その恩澤を増幅するのであり、感謝しない心は、その恩恵をけがし減弱して受けとるから充分の功徳を受けることはできない。
 
窓を開いていないと光は入ることはできない。窓を開いていても夜間であれば光は入らないこともある。しかし、常に窓を開いてをれば、やがて朝の光、昼の光は訪れるのである。
常に心の窓をひらいて必ず光(幸福)が来ると信じてをれば、必ず光は訪れるのである。心の明るい者の処へ幸福は訪れる。
谷口雅春先生著『女性の幸福365章』)


「心こそが容貌に鑿を揮うすばらしい彫刻家である」 


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すべての女性は美しくなりたいと思っています。
 
ある女性が「肉体の形など、どうでも良い、心さえ美しければそれでよいという女性が世の中にはいると聞いているが、やはり容貌が醜い人は気が引けると思うし、美しい容貌の人にはかなわないでしょう。容貌を美しくする方法はありませんか」とA氏に質問されたといいます。
 
A氏は「美貌は生まれつきの顔貌だけでない。美貌は心が作り出すものだ。心こそが容貌に鑿を揮うすばらしい彫刻家である」
と素晴らしい回答したといいます。
 
 かつて、オイル会社などのポスターのモデルで有名な夏川静江さんという女優がいました。
 
彼女は実物より写真写りが大変良いと評判でした。
ある人がその秘訣を訊ねたところ、彼女は「写真を写して貰う前に眼を瞑って、自分の一生涯の今まで経験したことのうち、一番楽しいことを心にイメージして、自分は嬉しい、楽しいと思うようにしている」と答えたそうです。
 
“心こそが容貌に鑿を揮うすばらしい彫刻家である”を実践した素晴らしい女優さんだったのではないでしょうか。
 
「真の美貌は美しい心が作る」
 
美貌というものは、生まれつきの顔貌だけのことではない。
美貌は心が作り出す。
女性の顔は愛に輝いている時、どんな生まれつきの顔貌をしていても、美しさがあらわれる。
「自分は神の子、嬉しい、楽しい幸福だ、いいことが来る。
美しくなる」と、つねに心に念じつつ、善の生活を心懸けるとき、美しくなるより仕方がないのである。
谷口雅春先生著 『新版 真理』第5巻より)
 
このことからもすべての女性は心を、明るく、楽しくし、愛情たっぷりの生活をしていると、自然に美しくなるということですね。
 

「あなたから愛をこめて」


「雑用という仕事」
 
東大寺別当、筒井寛昭氏は次のようにお話しております。
 
結婚をするとこんな愚痴をこぼす女性がいます。
「料理に洗濯、掃除に買い物…。家事なんて雑用ばかり。夫や子どもにほめられるわけでも、感謝されるわけでもないし、嫌になる」
お金を稼ぐことや評価につながること、得をすることなど、目に見える成果を出すことだけが大切だと思っているから、不満が出てしまうのです。
何事も「心の持ち方」ひとつで「やらされている仕事」が「周りを幸せにする役目」に変わります。
 
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すべての行為を意義付けることが大切です。
家事も心を込めて、家族の幸せを願って行うといろいろなことに気が付きます。
例えば、食事前にテーブルをセッティングするとしましょう。
もし、雑用だと思っていたら、テーブルにごはんとおかずを適当に並べて、箸を置いて終わりです。
これが「自分の役目は家族に喜びを与えること」だと考えていたなら違ってきます。
「より美味しそうに見えるようにランチョンマットを敷こう。色はおかずや食器に合わせてこれにしよう」
そんな気持ちで仕度をするようになると、自分も相手も気持ちよく、また、料理もワンランクアップする、などということになっていくものです。
こうした小さな思いの積み重ねが、やがてあなたの幸せになって返ってきます。
 
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仏教に「因果応報(いんがおうほう)」という言葉があります。
 
「幸せになってほしい」というあなたの優しい思いが周囲に以心伝心し、いつかあなたに返ってくるのです。
会社でもそうです。
毎日のコピー取りも、お茶くみも大事な仕事。
そう考えると、「雑用」なんてないのです。
すべての行動に心を込めながら行うことが、あなたに幸せを呼び込むのです。


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「雑草という草はないんですよ。どの草にも名前はあるんです。どの植物にも名前があって、それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいるんです」
だから、人間の一方的な考えで、これを切ってはいけない、と。
昭和天皇の有名なエピソードだ。
 
同様に、雑用という仕事はない。
すべての仕事に目的があり、意味や意義があるからだ。
ノートルダム清心学園の渡邉和子さんが、修道会にいたときのこと。
食事の準備のために、食卓にお皿を配っていた渡辺和子さんに、あるシスターが寄ってきて訊ねた。
「あなたは今、何を考えながらお皿を配っていますか?」
渡辺和子さんは戸惑いつつ、「いえ、何も考えていません」と答えた。
そのときシスターは、「あなたは時間を無駄にしています。なぜ、このお皿を使う人の幸せを祈りながら配らないのですか。この世に雑用という仕事はないのですよ」
そう教えてくれたという』(22世紀への伝言)より
 
「念」という字は「今」と「心」からできている。
今ここに、心を込めるということ。
すべての仕事や行動に意義を見いだし、そこに念を込めて生きていきたい。
 
 

夢は叶う


真の願いは必ず実現する
 
衆生無辺誓願度」という言葉について、泰道先生は『雑宝蔵経』という仏典にある警え話を使ってよく説明されたものを聞きましたので紹介します。
それは一羽の小鳥を巡る実に味わい深いお話です。
 
山に餌を探しに来た一羽の小烏が道に迷ってしまいます。すると、動物たちが現れて、食べる物や眠る場所を与えて介抱し、小鳥はいつしかその山に暮らすようになりました。ところが、ある日、風に吹かれた木々が擦れ合ううちに火がおこり、あっという間に火は森全体に燃え広がってしまうのです。
最初こそ、ライオンや象などの動物たちも火を消そうとしましたが、どうにも手に負えなくなって皆山から避難することにしました。
ところが、ふと振り返ってみると、あの一羽の小鳥が近くの池に飛んで行っては羽に僅かな水滴を浸し、火にかけ続けているではありませんか。羽も真っ黒に焦げかけています。その様子を見た動物たちは、「無駄なことは止めよ。我われが力を尽くしても到底できないことなのに、あなたが数滴の水を羽に浸してかけたとしても、この火を消せるはずがない」と口を揃えます。
ところが、小鳥は「私がいくら頑張ったところで火を消すことができないのはよく分かっています。けれども、私はとの森にお世話になりました。お世話になった森が
燃えていくのをただ黙って見ているわけにはいか-ないのです。私は自分の命がある限り、水をかけ続けますしと答えたというのです。
それを聞いた動物たちは、「あの小さな小鳥でさえ頑張っているのだから、私たちも努力しないわけにはいかない」と、引き返してきたのでした。その様子を神々がご覧になって火を消してくださった。
そういう警え話です。仏典には、火を消そうと願った小烏こそ、お釈迦様の前世であったと説かれてあります。
この話には私たちが学ぶべきことが多くあります。この小鳥のように無駄なことだと周囲から言われてもやむにやまれぬ気持ちで何かを実践し続けていくと、その姿を見た人たちがいつの間にか感化され、一緒に涙頑張り始めるのです。
山火事は神々によって消されたとされていますが、これはきっとその願いが次の世代へと受げ継がれ、やがて現実となることを意味しているのではないかと思います。
 
『法句経』には
「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される」
というお釈迦様の言葉があります。
あらゆるものは人の心がつくり出していくという華厳の教えですが、坂村真民先生も「念ずれば花ひらく」という分かりやすい言葉でそれを表現されています。

自然との大調和「循環農法」

現在、地産地消、旬産旬消の大切がどこでも話されるようになりました。
大分県に無農薬、無化学肥料の「循環農法」で野菜を育てる素晴らしい農家の方を紹介します。赤峰勝人さんです。赤嶺さんは「なずなの会」を組織し、なずな新聞の発行、問答塾、百姓塾、各地での講演を行い、自然の食べ物を通じて、循環の大切さを伝えています。

著書には「ニンジンから宇宙へ」「ニンジンから宇宙へII」「循環農法」「私の道」(以上、なずなワールド)、「アトピーは自然からのメッセージなど


「持続可能な循環の社会を作るために」
...
昭和37年農業高校卒業と同時にに野菜専業農家を目指し、20年目にして完全無農薬無化学肥料での栽培を完成。そして間引いた一本のニンジンを通して大宇宙循環の法則を心と体で理解し、辿り着いた農法を「循環農法」と呼ぶようになりました。「循環」の主役は、一般には「敵」とされている草、虫、菌達です。彼らの存在があって初めて循環農法が成り立ちます。
 争わず、愛し合い許しあって生きることこそ、循環農法の極意です。 完全無農薬無化学肥料の農作物ができたことでアトピーの人々との関わるようになり、化学肥料と農薬の恐ろしさをまざまざと見せつけられ、世の中にあふれる化学合成物質の存在を知り、それらをなくさなければ健康には成りえないと思いたち、化学物質の恐ろしさを知り全ての人が循環農法に取り組めば、持続可能で幸せな世界がやってくる。
 そう信じて「なずなの会」を立ち上げました。 なずなの花言葉は「すべてをあなたに捧げます」。薬用、食用に良く、真冬の寒さにもびくともせずに生長し、踏まれても切られても力強く伸びてきます。カルシウムが豊富ですから、食用すると心が和みます。大地も人々も生かしてくれるなずなは、まことの愛の化身であると思い、会の名前にしました。

 (赤峰勝人氏)
「なずなグループが目指すもの」
1 循環農法の大切さを伝え、地球上から化学肥料と農薬をなくす
2 日本の穀物自給率100%を実現する
3 全ての化学物質の製造中止を訴え、ダイオキシン酸性雨などの人為的公害
  の減少に取り組む
4 自然海塩の大切さを伝え、日本中の人が自然海塩をいただけるように推進する
5 玄米食の素晴らしさを伝え、心身共に健康な人を増やす
6 千島学説(小腸絨毛造血説)を理解してもらう
7 「陰陽」をわかりやすく伝え、楽しい人生をおくれる自由人を増やす
8 人間とは何か、いのちとは何か

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