「ありがたい」というコトバの大切さ

お釈迦さんの「真理の言葉」の語録の形式を取った仏典と言われるものに『法句経』(ほっくぎょう)という経典があります。

その中のひとつに次のような詩があります。

 

 人に生まるるは難(かた)く (かたくは難しいという字でかたくと読みます)

 いま生命(いのち)あるは、ありがたし

 世にほとけあるは難(かた)く

 ほとけの法(おしえ)を聞くは、ありがたし

 

 この詩には「ありがたい」というコトバが出てきますが、このコトバには「ありがとう」という感謝の意味と、「今、ここにあるということが容易でない、難しい」という、もう一つの意味もあります。

 だから、難く(かたく)というコトバも「ありがたい」という意味となり、 この詩には「ありがたい」という意味の言葉が四つ出てきます。

一番初めに、「人に生まれるというのが、ありがたい」、2つ目に「今、生きているということがありがたい」、三つ目に「世に仏があるのはありがたい」、それから「真理の教えを聞くことはありがたい」という内容の詩です。

 

 日本人は昔から「お陰様で」、「有り難う」、「いただきます」、「勿体ない」と言って生活をしてきました。驚いたことにこれらのコトバは英語には訳せないと言われています。例えば、「有り難う」はThank youだけでなく、もっと深い意味があって、「今、ここにあるということが容易でない」即ち、有り、難い、有ることが難しい事への感謝の心という意味もあるのだそうです。

 遺伝子の研究をしている筑波大学名誉教授の村上和雄さんは、普段、眠っている良い遺伝子を活動させるためには、この「有り難い」という感謝の心を持つことによるところが大きいと言っておられます。

また、村上教授は「一つの細胞が偶然に生まれる確率は、1億円の宝くじを買って、連続して百万回当選することと同じくらい、大ラッキーである。さらに、私達一人一人は、約38億年かけて作り上げられた最高傑作だ」(七宝の塔)とも言っておられます。 

 このことから考えると、人間の肉体の細胞は60兆あると言われていますから、60兆倍、大ラッキーであるということになり、このことだけでも私たちは有る事が難しい、有り、難い、尊い存在であることに気付くと思います。

 このように、私たちは人間として存在し、生命(いのち)を頂いているだけでも、ありがたいのに、生活の中で当たり前に呼吸し、当たり前に食事を頂き、当たり前に水を飲み、当たり前に太陽の光を浴びています。こうした当たり前のように見える生活の中には、実は、それこそ数えきれないほどの無数の恵みがあるのですが、そのことに気付かずに生活していることが多いのではないでしょうか。

 考えてみると、大地、空気、日光、水、そして住まい、家族、健康、衣服、食べ物など、毎日の生活になくてはならぬものが既に与えられていることが分かります。すべては、神の創られた天の恵み、地の恵みの現れであり、私たちは神の愛や仏の慈悲によって生かされている存在だということが分かるのであります。

「私たちの回りには無数の恵みがある」ということに気づけば、口をついて出てくるのは感謝の言葉しかないと思います。私たちのすぐ側にある、目の前にある、そして足下にある、たくさんの「当たり前」のことの素晴らしさに気づき、「ありがたい」という感謝の思いを持つことが、幸福な生活を実現するための鍵と言っていいでしょう。

 感謝の心を持てば、「私たちの回りには無数の恵みがある」と実感することができるようになるのです。多くの恵みによって生かされている自分であることを自覚し、身近にある当たり前の出来事、そのひとつひとつに感謝しましょう。その積み重ねがやがて天地一切のものへの感謝、そして、素晴らしい世界を創られた神様への感謝につながっていくのだと思います。