「恩を知る。感謝の心」

 
    感謝は相手の心を射る   
 
 
 
 
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 ある学校で母親から 
子供に給食の時間、
「いただきます」 
を言わせないで欲しいという申し入れがあったそうです。
 その理由は、給食費をちゃんと払っているのだから
「いただきます」というのはおかしいと言うものでした。
 
 また、ある人は、食堂で、 「いただきます」 「ごちそうさま」と言ったら、別のお客さんに「どうして?」と聞かれたそうです。
 
「作った人に感謝している」
と答えると、
「お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ」
と言われた」との事でした。
 
確かにそうかもしれません。
 
 しかし、もっとも大切な根本的な事が忘れられていると思います。それは相手を思いやる心、感謝の気持ちだと思います。
 
料理を作ってくれた人、お米や、野菜を作ってくれた人、材料を市場まで運んでくれた人、作物ができるまでの日光や土などの天や地の恵み、神様の愛のお働き、自分では作ることの出来ないたくさんの恩恵に心から感謝の思いで、
 
「ありがとう」
 
と言葉に出すことはとても大切なことだと思います。
 
感謝と言う字の組み立ては、自分の「ありがたい」という気持ちを言葉に出して、あるいは思いを込めて、
 
「相手の心を射る」
 
ということだそうです。
 
 
 
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「恩を知るは大悲の本(と)なり、善業を開く初門なり、恩をしらざるものは畜生より甚(はなは)だし」と、小乗仏教から大乗仏教に転じ、空の思想を説いた龍樹菩薩が、その著書『大智度論』(だいちどろん)で説いていますように、「恩を知り、他人に情けをかけられる人こそが人を慈しみ、みんなに幸福を与えられる人です。
自分さえよければ他はどうでもよいというように、自分に都合のよいことばかり期待して、自らは善行を心がけず勝手振る舞いを行うものは、畜生にも劣る」ということなのです。
 
 
人を認め、褒め称え、賞賛し、感謝し、愛し、さらにその思いをコトバに、態度に表現することによって、現象界に幸福を実現させることが出来るのであります。
 
 
 
人間の実相は無限の善であり、無限の健康であり、無限の幸福である。併し現実人生はより高きもの、よりよきものに対する不断の進歩です。
 
即ち内在無限の善が徐々にそれを現実世界に移し出す過程です。
 
その映し出されるのは吾々がそれに対して焦点を合わせるならばであります。
 
若し貴方が、神のつくり給える完全なる世界の実相に焦点を合わさず、人生は悪であり、人類は次第に退化過程を辿るものであり、一歩一歩暗黒と悲惨との境に沈んでゆくものであると云う事を信じ、常に暗い心と、暗い言葉を吐き散らすならば、吾々の人生経験に於いてはその思いの通りに、言葉の通りになるでしょう。
 
 併し貴方が神のつくり給える、完全なる世界の実相を観、その実相のそのままの姿において人生を受け取り、その本然の善を認め、常に明るき想念を持続し常に明るき言葉を出し、実相世界に波長を合わせるようにするならば、あなたの生活は神の祝福と恩寵の流れに乗ってあなたの人生経験は常に明るく幸福なるものになるのであります。
 
 現実人生は徐々に展開するところの実相無限の善ですから、よりよきより高きものが、常に一層より多くあらわれて来るのですから、不断に新しきよりよきものが展開してくるほかはないのです。 併しこれは吾々が実相世界に波長を合わせることによってのみ可能なのです。
 
                     生長の家創始者 谷口 雅春先生著 『新版 幸福生活論』より