「朗らかに笑って生きよ」

「コトバで心を新たにする」
 
 
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茶道の大家裏千家前家元の千玄室氏は少年時代にお母さんからいつも、
 
仏頂面しないで、毎朝洗面をするのだから、鏡に向かって笑顔で『おはよう。今日も元気で』と挨拶しなさい。そしたら誰にでもご挨拶できるようになります」と教えられたそうです。
 
 それ以来、毎朝、今でも「おはよう。頑張ろう」、夜には「ご苦労さん、明日も頑張ろう」と挨拶を励行しているそうです。このことで一日中明るく元気に過ごすことができ、何事でも乗り越えることができると言っています。
 儒教経書四書五経があり、四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」をいい、五経を以て四書よりも高しとするところからきています。
 
 また、「楽経」を含めて四書六経ともいう場合もあるようです。そのなかの「大学」のに殷の湯王の言葉で「苟に日に新たにせば、日に新た、また 日に新たなり」とあり、今日の行いは昨日よりも新しく良くなり、明日の行いは今日よりも新しく良くなるように修養に心がけねばならないという意味になります。湯王は洗面の器にこの言葉を書き、毎日の自誡の句としたということです。
 
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 生長の家では「コトバの力」というものをとても大切にしています。したがって、心が日々新たに生まれるためには「コトバの力」使うとことです。そして善き言葉は自分の人生に極楽浄土を現すことができるのです。ヨハネ伝の第一章には、「太初に言あり、言は神なりき。・・・万の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命あり・・・」と書かれています。
 
 コトバには生命があり、創造力があるということです。コトバによって心が変化し、心が新生し、新たに生まれることができるというわけです。この新たに生まれるとは、醜きもの、汚きもの、争いや苦しみの暗黒の世界に目を閉じて、光の世界に心の目を開いて、すでに在る天国浄土を観ることです。これが『日時計主義』の生き方であって、物事の光明面を見て、それを観じることで真象を現すことができる生き方が『日時計主義』の生き方であるのです。
 
 創始者谷口雅春先生は“朗らかに笑って生きよ”という言葉を掲げて生長の家を始められ、私たちは今日まで“日時計主義”の生活を大いに進めてきました。また、これからもさらに進めていきたいと思うのです。なぜなら、この“日時計主義”こそ、実相独在の信仰と唯心所現の真理を体現した生活の実践だからです。つまり、現象的にはまだ“光明”が充分現れていなくても、現象の背後にある実相を信じて、それをコトバで認め、引き出すことで、地上に“光明”が現れる――そういう信仰と原理なくして、日時計主義は成立しないからです。             谷口雅宣先生著 日時計主義とは何か?」
 
 いつも朗らかに笑って、周りに幸福を蒔いて生きると、それが回って自分の人生に幸福が実現されるのです