『天国の扉を開く』

日時計主義」で大調和
 
 
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税所敦子さん(さいしょ あつこ)近代の女性作家
明治の紫式部といわれ、近代黎明期随一の歌人と謳われた税所敦子さんは、京都の宮家付き武士の家に生まれ、幼児から歌に親しんだ。堂上派歌人千種有功に学び、その縁によって香川景樹、八田知紀、税所篤之、蓮月などを識り知見を広めた。
 
 豪放な性格の篤之は、歌人だが画家でもあった。(二十歳で薩摩藩士で京都出向の税所篤之と結婚。藩主島津斉彬の息子哲丸の守役を経て、文久(1863)年に久光の養女貞姫の近衛家への輿入れに従い京都へ。以降、十二年間近衛家に奉仕した。明治八(1875)年に宮内省に出仕、後に皇后の歌の相手など文学の諸務に二十数年精勤した)
 後ほど宮内省に入った有名な歌人です。この人は早くご主人に別れて、姑さんと二人暮らしをしておったそうです。
 
ところがこの姑さんは世にも有名な意地悪婆さんで、「鬼婆」という渾名の付いておったお婆さんですが、ある時、敦子さんが針仕事をしておりますと、横へやって来まして、ベタッと座り込んで、「敦子や、今からわしが下の句を詠うから、上の句を付けなさい!」といって、さもさも憎々しげに敦子さんを見やりながら、「鬼婆なりと人は云うなり」とこうやりました。
「鬼婆なりと人は云うなり」みんなに言われていることをよく知っていたのでした。
だから気になり、「敦子や、この上の句を付けなさい」といったのです。
本人はその通りなんだけれども、えらいことになりますから、さあ、大変です。ところが税所敦子さんは、即座に上の句を付けました。
「仏にも似たる心を知らずして」とこう付けたんです。
 
 
     仏にも似たる心を知らずして
鬼婆なりと人は云うなり
 
 
となるわけです。
 
 つまり、「お母さん、気にせんで下さい。あなたは仏様のような美しい心をお持ちなんですよ。それを理解できず、それを知らないからこそ他人(ひと)は時には鬼婆や、というようなことを申しましょうけれども、それは薄っぺらなまったく人の心を見通すことのできない人のいう戯言(たわごと)でありまして、お母さんは仏のような方なんですよ。どうぞそういう浅薄な人の言葉なんぞ耳をお貸しなさらずに、どうぞ通ってくださいね」という歌です。
流石のお婆さん、ビックリしました。
 
「あ、敦子はそう見てくれたんか。私の心を仏だというてくれたんか。なんと有り難い嫁じゃ」と。爾来、そのお婆さんの態度はコロリと一転して、「敦(あっ)ちゃん、敦(あっ)ちゃん」と可愛がり始めました。 
 今までは事毎に敦子さんを痛めつけておったお婆さんが、つまり地獄の世界におった敦子さんをそのお婆さんの心の転換によって楽しい楽園に転換したわけです。
 
 悟りの世界、或いはまたお浄土の世界、単に十万億土の彼方だけではなくして、現在のこの場が即変じて極楽になるという、こういう一つの考えを、与えられいるのではないでしょうか。
 人間の心の持ちようというものはいろんな場を転換する力さえ持っているのです。
 即ち、「日時計主義」
のものの見方とその実践が、人間関係の調和とも大いに関係があるのではないでしょうか。
 
 
 
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「もしあなたが、一輪の名もない野の花の中にすら、天国を見出すことが出来るならば、あなたの夫や妻の中に、そして息子や娘の中に、天国を見出すことは、いかにいっそう自然であることであろう。もしあなたが一茎のわらびの中にすら、“あっ、ここにわらびが一本新しく生まれている”と叫んで、新たなる悦びを見出し、このようにして、それがもつ神秘的な美しさに目覚めるならば、自分の妻や子供に大きな悦びを見出さぬということは決してあり得ないのである。もしそうであるならば、あなたの家庭は何と仕合せなことだと思う。このような家庭に住む人たちは決して互いに倦(あ)きることはないのである。もしあなたが夫や妻や子供に対して、倦怠を感じるならば、それはあなた自身が生まれ変っていないことを示すのであり、それで、あなたは全てのことを新鮮味がなく陳腐に感じざるを得なくなっているのである」
谷口雅春先生・フェンウィック・L・ホルムズ共著『信仰の科学』(pp.59-60)
 すでに与えられているもの、人々、人間関係などの光明面に注目し、そこから神の創造された善一元の世界を感じる生き方、それが生長の家の生き方なのであります。