「足るを知る」

「吾れ唯足るを知る」
 
 
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龍安寺の石庭」として知られる枯山水の方丈石庭で有名な龍安寺は、禅宗が盛んだった室町幕府管領守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺です。衣笠山山麓に位置する龍安寺の所在地は、藤原北家の流れを汲む徳大寺実能以来、徳大寺家の山荘であったところを、細川勝元が譲り受けたものであるそうです。
 
 
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そこには文化財として、茶室蔵六庵の露地に水戸光圀の寄進と伝承されている知足の蹲踞(つくばい)があります。
蹲踞は茶室に入る前に手や口を清めるための手水を張っておく石のことで、ここの蹲踞には「吾唯知足」(われ、ただ足るを知る)の4字が刻まれています。
その意味合いから石庭の石が「一度に14個しか見ることができない」ことを「不満に思わず満足する心を持ちなさい」という戒めでもあるといわれています。
 
また水を溜めておくための中央の四角い穴が「吾唯知足」の4つの漢字の「へん」や「つくり」の「口」として共有されているのが見どころであり、そのため一見「五・隹・疋・矢」と読ます。
 
また、この蹲踞(つくばい)は口が大きいことから大切な意味があります。
 
「足を知る」
 
1.飲食 欲望に打ち勝つ 腹八分が健康の極意で足を知る。
2.言葉 言葉の使い方  
 
言葉には二種類ある通常使っている言葉を通称、通商言葉という。たいこ言葉がある。
通商言葉を売り言葉に買い言葉という。折り合いがつかないと頭に来る言葉である。
たいこ言葉は腹に響く言葉で、心に響く言葉で、人を幸福にする言葉である。
だから神様から賞められ、太鼓判を押してもらえる。
頭に来る言葉には心に響く言葉を返すのが達人の成せる技である。
 
しゃべり過ぎないこと、「黙養は足を知る」ことである。
 
3.呼吸 息 空気に生かされていることのありがたさ
 
臨済宗妙心寺派の管長をされた山田無門氏は若い頃、粗食に耐えながら厳しい修行をしてとうとう肺結核になってしまったそうです。
今のように良薬もない時代でしたので、故郷に帰って静養に当たることになったのです。山田氏はある日、縁側にたたずんでいました。その時に縁側の風鈴がチリンと鳴ったのでした。
 
 その時、風鈴はなぜ鳴るのだろうかと考えておった。ふとその時に、
 
「風が吹くからだ。風とは空気が動いて風となる。そうか、この世には空気があったのか」
 
と空気の存在に気付いたのでした。山田氏はその時から空気に毎日、感謝したといいます。
「考えてみれば、寝ているときでも、いつでも空気が自分意を包んでくれていた。自分は空気に一度も感謝をしたことがなかった。空気さんありがとう」
 
と深い感謝の念を持たれたのでした。
 
その感謝の気持ちを持たれたその日を境に、山田氏は見る見る健康を回復して、最後はとうとう90歳まで長生きされたのでした。
  
深い感謝の念によって生命力が湧き上がってきたのです。
この感謝は風鈴の音という本当にわずかな縁なのです。山田氏はその縁を見事にプラスにされたのです。 
息は生き活きであり、神の生命であります。
 
4.他人を知ることは「知者」といい、自分を正しく知ることを「賢者」
  自分に打ち勝つ者を「強者」といい、足を知る者を「富者」という。
 
 
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現在の資本主義経済は一種の“欲望増幅装置”のような役割をはたして地球資源の枯渇を加速させています。
このことから、宗教の役割として、その欲望を沈静化し、「足るを知る」倫理を広め、さらには「与える」喜びを拡大していかなければなりません。
 
「足を知る」といことは、既に与えられているすべてのことに感謝し、余っているものは他へ回していく。そういう布施や、菩薩行、愛行の原動力として、宗教は生きてきます。
 
 
私は、今日の地球環境問題の根っ子には、現在の私たちの生活の中に、人間至上主義、とりわけ人間の欲望至上主義がある、と思います。人間は「神の子」ですから、人間が互いを尊ぶことはいいのです。しかし、それは人間の「欲望」を尊ぶのではなく、その奥にある「神性・仏性」を尊ぶのでなくてはなりません。しかし今日では、広告・宣伝活動によって「与えられていること」ではなく「欠けていること」を強調することで欲望を喚起し、市場拡大をはかる。製品の寿命を短くし、モデルチェンジを頻繁に行う。これでは、地球がいくつあっても足りないでしょう。昔から東洋では、「足るを知る」という生き方が称揚されてきました。ただし、この考え方は封建制度を正当化すると批判されたため、長らく“時代遅れ”とされてきました。しかし、21世紀の現代では、先進諸国の間には封建制度は存在しません。自由・民主主義の考え方と制度がそれにとって変ったのですが、残念ながら、これは人間の欲望民主主義に堕しているきらいがあります。
 
 地球温暖化の進む21世紀にあっては、宗教的な意味をもった新しい“足るを知る”運動が、上から押しつけられるのではなく、草の根的に盛り上がっていく必要があります。ケニアの環境運動家、ワンガリー・マータイさんは、日本の伝統の中にある「もったいない」の考え方を世界に広めることを提唱しましたが、私は「もったいない」の思想も素晴らしいと思いますが、生長の家にはもっとオリジナルな考え方がある、と皆さんには申し上げたい。それが「日時計主義」です。

生長の家総裁・谷口雅宣先生『小閑雑観』2007年11月22日
日時計主義」は実相顕現の運動