「日時計主義」

 「日時計主義の生き方」 
 
イメージ 1
 
 
現在、マスコミから流れるニュースや報道番組、新聞記事などを見ると、世の中の悪い面を強調し、それに焦点を合わせたものが多く報道されています。テレビドラマなどを見ても、目を覆い、耳を塞ぎたくなるような番組が数多く放映されています。当然のことながら、多くの子供達もこのような番組を見たり、新聞記事に目を通したりしているわけで、インターネットを含めたこうした情報環境が子供たちの将来に良い影響を与えるのだろうか。
 そう考えたとき、日本の未来世代がどうなってしまうのかと心配するのは、私だけではないと思います。善い面を伝える報道や情報があまりにも少ない現代の世の中では、未来世代の子供たちに希望や喜びを与えることはとても難しいことのように思います。
 
 
イメージ 2
 
 
 ある新聞の投書欄を見ていたら、大阪のKさんという7歳の女の子が「ニュース」という題で次のような投書をしていました。
 
「ニュースは悲しいことばかり、どうしてだろう、楽しいことばかりの方がいいのに。例えば死んだ人が生き返ったとか、お茶が笑ったとかそういうニュースばかりだといいのに」
 
 世の中の暗い面や、醜い面を強調し、そうしたことばかりを社会に発信していくことは、人々の心を暗くするだけでなく、ひいては社会や国家、世界の情勢までをも暗くしてしまいかねないと思います。7歳の女の子の投書は、子供達も小さな心を痛めているということを現しているのですね。
 
イメージ 3
 
 
 確かに世の中の出来事や人々の行いには、色々な醜い面もあれば欠点もあります。しかし、見方を変えれば、どんな出来事や行いの中にも、必ず美点や賞賛する点があるはずなのです。
 
生長の家では「日時計主義」という素晴らしい生き方があります。この生き方は、悲しい連想や、憂鬱な暗示を拭き去ってできるだけ、輝く喜びの時刻だけを記憶し、言葉で語り、常に明るい良きことのみを思い出す生き方です。
 この生き方によって、不快な一切の記憶を次の瞬間から追い出してしまうことができるのです。
この「日時計主義」の生き方をみんなが実践すれば、私達の住む世界はどんなにか愉快で幸福になれるでありましょうか。
 
 
 
イメージ 4
 
谷口雅宣先生は、次のように示されています。
 暗い環境の中にある時に、明るい方面に注意を振り向けるだけで、世の中は善くなっていくだろうか? そんな疑問を抱く読者は多いに違いない。
 
あるいは、「悪に目をつぶって生きていくことは、社会の改善に寄与しないばかりか、悪をのさばらせることになるから好ましくない」と考える読者もいるだろう。
 
 しかし生長の家では、神が創造された「本当の世界」(実相)は善一元であって「悪はない」と考えるのである。
 
 また、我々人間が肉体を使って生きる世界は、心によって一時的につくられる仮構の世界であると考える。それは、各自が一種の“心のレンズ”は曇り、本来ある神の創造(実相)が見えなくなる、と説いている。
 
 そのような、神への無限大の信頼と信仰にもとづいた生き方をすることが、「日時計主義の生活」である。
生長の家総裁・谷口雅宣先生の御著書『日時計主義とは何か?』