「思いやり」

「無我献身」
 
私たちは我を通さないと損をしたような気持ちになり、自分のわがままを押し通すことが時々あるのではないでしょうか。
ここに幸福な世界を実現しようと思うならば、わがままを押し通すのではなく相手のことを考えた思いやりのある人間にならなければならないのです。
“無我献身”こそが自分を生かす道です。
 
イメージ 1
 
 「思いやりのある世界は天国」 
 
 「天国」と「地獄」
 
この話は有名な話なので、みなさんもよく知っていると思います。
「天国にも地獄にも食べ物は同じ分量、たくさんの食べ物があります。天国でも地獄でも,みんなま~あるい テーブルを囲んで座り食事を始めるのですが、その時、どちらの国でも1メートル以上もある長い長い箸を使って食べなければならないのでした。天国でも地獄でもその条件は全く同じなのでした。
 
 ところがいざ食事を始めるとなると、天国と地獄ではその箸の使い方に大きな違いがありました。
 地獄にいる人はそのなが~い箸を使って一生懸命食べようとするのですが、箸があまりにも長すぎるために、なかなか思うように食べ物を自分の口まで運ぶことができません。益々躍起になって自分で自分の口まで食べ物を運ぼうとするのですが、躍起になればなるほどうまくいかず、食べ物はポロポロポロポロと下に落ちるばかりでした。ですから地獄にいる人達はいつまで経ってもおなか一杯になることはできず、みんながイライラしはじめ、いつも空腹の状態に苦しみ険悪なムードが漂っているのでした。
 
 一方、天国にいる人達はいつもおなか一杯の満足感を味わい,幸せを感じながら過ごしていました。
天国にいる人達は,そのなが~い箸を決して自分のためには使わなかったのです。
そのなが~い箸で食べ物をつまむと、その箸を自分の正面に座っている相手に向かって差しだし、「あなたからどうぞ」と言って相手の口元まで自分の箸を運ぶのでした。テーブルを囲むお互いがみんな同じように、「あなたからどうぞ」とみんなが楽しそうに思いやりを持って、箸の使い方をしています。相手のために働かせる箸をみんなが持っているのでした。決して自分のために使う箸ではなかったのです。相手のために自分を働かせることによって、相手もまた自分のために働いてくれる。天国ではそういうことが自然に行われているのでした。ですから天国にいる人達はいつもおなか一杯で幸せいっぱいなのでした」
 
 
 自分の「満腹」(欲求)を満たすことだけを目的にし、そこから抜け出さずにいくら躍起になっても結局は「空腹」(空しさ)に苦しむだけです。自分だけのことを考え、自己中心的な考えから出発したのでは、本当の「満腹感」や幸福を感じることはできないということなのでしょう。
 人間はいつも長い長い箸を持って生きているのかもしれません。人生の瞬間瞬間にその長い箸をどのように使っているか、その使い方によって地獄に近い生き方なのか、天国に近い生き方なのか、自分のその時の心のあり方を顧みて、自分の人生を「天国浄土」にしていただきたいと思います。