『あなたの願いは叶う』

   「心の努力」  
 
 フォード自動車会社の第一世のヘンリーフォードは、自分が欲する事物を強く描くならば自分の生命の中から「スピリチアルリトルアンデユレイティ」すなわち霊的微少波動体という微少なる霊的波動の体が自分から放射されて必要な処にでかけていくと言っています。
 その霊的微少体は、私達が心に思って描いたことを、自分の精神の延長となって、それが波動となり宇宙の何処かに心に描かれたものを探しに行くといっているのです。
 
 私達が祈りを成就させるためには、努力すると言うことが大切になります。
努力は必ずしも肉体や筋肉を動かすことだけでなく、「心の努力」が重要なのです。
即ち、心に強く描くという努力と練習が必要であるということです。
 
 私達の欲するものや求むるものは、「必ず既にあるのである」ということを祈りによって心に描いて、既に受けたりと信ずることが大切なのです。
 
 その「心の努力」によって、その想念が具体的な形をもって現象界に現れてくるということです。
したがって努力の第一歩は欲する事物を心に強く描くという心の努力であります。
 
 
                           イメージ 2               
 
 
 
それなのに「既に受けたり」ということを忘れてしまって、途中で、とてもできないと思ってしまうとその心に描いたものが出て来るというのが心の法則です。
この世界は「唯心所現」の世界であることを忘れてはならないのです。
 
   折角、今まで、できる、できる、できると心で強く描いたことが半ば、霊的世界から、現実の世界に近づいて来て、今、願いが成就しようとしているときに、とてもそれはできるはずがないといって、途中で中断してしまうから折角欲する事物が霊的世界から現実世界に出てこようとしている時に、求めたものが滞ってしまって、停頓してつかえてしまって出て来ることができない状態になってしまうのでありす。
 
現象世界に欲する事物が姿を現して来るためには、ある程度の時間が必要であるのです。
 
種を蒔いて、花が咲き、実を結ぶまでに時間がかかるように、既に、種の中には芽を出して、茎を伸ばし、花を咲かせて、実を着けるという理念が存在しているにもかかわらず、まだ、芽がでないといって穿るようなものです。
 
私達は、希望を実現させるために、初めからあるところの理念をただ引き出せばよいだけなのです。
 
 
イメージ 1
 
 
 
リンゴの種には、既にリンゴの実がなる理念があります。
みかんの種には、既にみかんの実がなる理念があります。
柿の種には、既に柿の実がなる理念があります。
 
 
 今まさに芽を出そうとしているときに、或いは、やっと双葉の芽が出初めた頃に、まだ実がならないどうしたのだろうと掘り返してみたら、よけいだめになってしまいます。
 
 折角の希望の芽が出始めているときに、まだ芽が出てこないといって、種をいじくり回して調べてみることが発芽しないと疑っている心であって、「汝これを受けたりと信ぜよ」
とイエスが言われたように「必ず芽が出て葉が伸びて、花咲き、実を結ぶ」という信念が足りないようでは希望を成就させることは難しいのであります。
 
 途中まで既に、芽が出て来ているのにそれ押し込んでしまうものだから芽がなかなか伸びることができないことを知らなければなりません。
希望成就のためには、自分が、願って祈るところのものが既に近づいて来ていることを信じて念じるといいのであります。
 そして、決してあせることなく必ず成就するという信念がなければならないのです。
正しいき希望は必ず成就します。
 
 
 
   「毎日祈ることが大切」   
 
 祈りというものは、魂が神に近づく心の体操であるから、毎日、肉体の体操をしておれば筋肉が発達して来るのと同じように、祈りを毎日重ねていると、魂は毎日一層清まり、発達して来るのである。それが本当の祈りの御利益というものであって、現世的なことばかりを御利益だと思ってはならない。現世的な御利益は肉体の死とともに捨ててしまわねばならぬけれども、魂の清まりと発達とは死を超えて存続する永遠の功徳なのである。
               (生長の家創始者谷口雅春先生著『新版女性の幸福365章』)

 「祈りを毎日重ねていると、魂は毎日一層清まり、発達して来るのである」
このように心の努力をすることによって明確に自分欲する事物を描くことができ、それを現実界に持ち来すことができるのであります。