『 教えと生活の一致 』

          薫重とは                  
 
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 薬師寺127管主山田法胤 ( ほういん )管主は“しつけ”は「し続けること」であると教えています。
 さらに「薫重」とは匂いがしみこむで、主たる人格が従にしみこむことを意味し、しつけは本気で叩きこむことで、自分が率先してやってみせることが重要であるとも言っています。
 
 伝える相手に自分が伝えようとする環境や雰囲気を作り、それを伝え続けることが“薫重”であり、それが弟子の体に自然と沁みこみ、そのことで、体が自然と形にはまってくるのであります。
 
 したがって、親が自分の質を高めていくことによって、子が親を見て師たる親に自然に似てくるのです。
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 また、学校の教室には色々な個性をもった子供がいます。まずは先生がやってみせて、その中心者に色々な個性を持った生徒がまねて学び、個性を生かしつつ、一つの方向にまとまって進む、これが「薫重」であり、社会においてもこれと同じことであって優れたるリーダーが中心となって範を示す。これが「良い薫重」となっていくわけです。
今、世の中は変化の時代と言われており、このために自分自身も変改していかなければなりません。
 しかし、変化をするためには覚悟が必要である山田法胤 ( ほういん )管主は言い続けています
 
 恵まれた時代にあっては、変化は必然性がなく、もし自分が成長して行く事を願うなら自分自身で規制する生き方、自分自身を律することが必要になるということなのです。
 
 現在、生長の家が進めている「森の中のオフィス」構想も、現代の人類の生き方から1歩も2歩も進んで、“自然と共に伸びる生き方”を展開しつつ、「寒くない、暑くない」を良しとし、ロ―エネルギーの生活のライフスタイルを実現するための意識改革でもあります。
 このことは、低炭素のライフスタイルを確立しながら、あわせて、自然エネルギーおよび省エネ技術を積極的に導入し、さらには業務の低炭素化のために、IT、通信技術の積極的に活用していくことで、地球環境保全に貢献しながら、自然と共に伸びていくというこれから進むべき生き方のモデルケースを示すことにも繋がって行くのではないでしょうか。
 
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  「教えと生活との一致    
 
 自分対して誰も彼も好意をもっていないとか、冷たい眼で見ているとか考える人たちは、根本に於いて人生観を変えなければならないのである。
 
「根本に於いて」とは人間の実相はすべて“神の子”であり、人間同士は互いに兄弟姉妹であり、この世界全体は「神の世界」であって根本に於いて神の愛によって調和し護られているのだという意味である。この真理を知ることが「根本に於いて人生観を変える事」である。
 
 生長の家の信徒で、教えの上では、この世界は唯一つの神によってつくられ、生み出され、護られているということを承認しながら現実に於ては、「あの人は僕に敵意をもっている」とか「会社の重役は僕に冷たい」とか思っているとするならば、“教え”と“生活”とが分離しているために、実際の功徳はあらわれないということになるのである。
 
 信仰というものは“教え”と“生活”とが一致して実践されるとき功徳を生ずるものである。
          生長の家創始者谷口雅春先生著『新版 生活の智慧365章』より
 
 
  心の持ち方しだい  
 
「聞き方や、読み方、見方によって宝にもなるにゴミにもなる」
 
 現象世界に展開される出来事はその人の心の捉え方ひとつで、同じ出来事でも宝にもなれば、ゴミにもなるということです。
 したがって、現象界に幸福を実現させていくために、その人の心の持ち方が重要であって、 薬師寺127管主山田法胤管主その心の持ち方を教えるのが宗教であるとも語っています。