『 大力量人 』
あなたは今の自分の境遇をさらに幸福にすることが出来ます。
それにはまず、自己限定を打ち破ることです。
そして自分はいったい何物であるのかを考えなければなりません。
には次のように書かれています。
あなたのすべての生活力も能力も悉く神から来たものなのである。 それを知ったとき、本当の自信力が涌いてくるのである。 五尺数寸、十幾貫に過ぎない物質的肉塊から出て来る生活力や能力が自分のものであるならば、 それはどんなに素晴らしいにしても高が知れているのである。 神から来たところの無限力だと知ったとき、必要に応じていくらでも、自分の生活力も滾々として 涌き出てくるものだという安心感が得られるのである。 その安心感があなたの心のパイプを開いて、滔々と神の力を流れ入らせることになるのである。 人間を単なる物質的肉塊だと思って、その自己限定によって、神の無限力の流れ入る通路を狭窄 させてはならないのである。
自分をこの肉体であると思っている限り、有限なる肉体の力しか出ないのでありますが、自分を
宇宙に偏満する無限力なるエネルギー、すなわち神から来たところの力であると知ったときに
自己限定を破る力が涌き出てくるということであります。
また、禅の『 無門関 』に「 大力量人 」と云う公案があります。
その中で、「松源和尚云く、大力量の人、甚に因ってか脚を擡げ起さざる」と書かれて
います。
お前は本来神の子であるのに、脚を擡げて、この宇宙全体を蹴飛ばすことが出来ない
のか、出来るではないかと云う強い自覚を促す言葉が書かれているわけです。
本来、大力量でありながら、その大力量が発揮されないのは何故でしょうか。
それは自分で自分を縛っていることが往々にしてあるからです。
本当は外部には何物も自分を縛るものがないのに、自分の人生観や人間観が縛ているのです。
人生観はその人の一生の運命を定める大切なものです。
その人自身の人生観、世界観、人間観によって、その観ずる通りに現れ、それによって人間の
運命も変わるのです。
また、さらに「 真金を識らんと要せば火裏に看よ 」と言う語句がありますが、
金鉱を発見してありがたいと言って、金鉱を保持しているだけでは役に立たない。
その金鉱をさらに冶金することによってのみ、金の金としての本当の真価が発揮されることに
なるのであります。
すなわち、私たちは「大力量人」なることは百錬千磨によって、出て来るということ
なのです。
まず、自分には神と同じき無限力があることを知ることであり、次に百錬千磨することで
大力量人たるものが発揮されるのであるということであります。
私たちは努力を通してのみ、本当に価値あるものを現すことができるのです。