『豊かに与えましょう』

 
 
  毎朝の祝福  
 
 サティヤ・サイ・ババは、皆さんもご存知のようにインドの教育者であり、社会奉仕者でもあります。インド国内では多くの要人も聖者として認める霊的指導者であって、神の化身といわれています。
 
 このサイババのもとには世界各国から5、6千人もの人が毎朝祝福を受けるために集まってくるのだそうです。また、サイババのおかげで病が治ったり、事業に成功した人々が、お礼のために多額の金を寄付したいと申し出る人もあるそうです。
 
 しかし、サイババは、
 
「私の所へくる人は金も物も何ももってくる必要はない。そんなものをもってきても私は一つも喜ばない。
もしもってくるなら、あなたの苦しみと悩みをここにおいて帰りなさい。
 そして、帰る時には喜びと幸福だけをもって帰ればいい。人間は自分が取ること、得ることしか考えていない。
 しかし、これは間違いだ。自然界を見なさい。オレンジは何のために、あれほどたくさんの実をならせるのか。自分が食べるためではない、自分以外のものに喜びを与えるためだ」
 
 他に与えることで自分が生かされる 
 
 いま世界中のたくさん人が苦しみにあえいでいます。その第一の原因は自分のことしか考えない生活に堕落してしまったことにも原因があります。
 
 一粒の麦は土の中に身をささげることで一つの穂に多くの実をたわわに実らせることができ、多くを生かしながら、自分を生かしています。
自然の世界はお互いに生かしあいの世界を現じており、他に与えることで自分が生かされる世界を教えています。
 
 また、作物の種を播いて収穫しても、肥料を播いたり、土を耕す労力や愛情を与えなければ、土地は痩せて次第にその土地からは作物を収穫することができなくなるのです。
 
 
 無限供給の根本となる法則 
 
「与えよ、さらば与えられん」が無限供給の根本となる法則である。種を播かずして果実を収穫しようと思ってはならないのである。種子を播いて世話をすれば、必ず播いた分量よりも多くの収穫が得られる。これが、「与えよ、さらば、与えられん」の法則なのである。
 私たちは、すべての供給が、米でも、木材でも、セメントでも石材でも、石油でも一切の衣料資源でも、悉く大自然(神)から与えられたものであることを知るべきである。
 
 では、神からそのように与えられながら、吾々は「供給の什分の一」ぐらいは割いて是を神の道をつたえるために、神様の御用のために献げるのが何が惜しいのであろうか?
 
 何でも「取り得」をしたら儲かるという考えが間違いなのである。肥料をやらないで、毎年収穫ばかりしていたら、ついに地力は痩せてしまって収穫は皆無になるであろう。
 
 それと同じで吾らは神に感謝して収入の什分の一を大地に肥料を与えるつもりで神の御用に献げるとき、いつまでも肥沃の土地から無限の収穫を得ることができるのである。
         生長の家創始者谷口雅春先生著『栄える生活365章』より