『仏の心、親の心』

「親の深い愛情」
 
 
 あるところに貧しいところで育ったまさおくんという少年がおりました。
ある時、まさおくんが大学に行きたいと親に持ちかけました。
まさおくんの親は、立派な人間になってほしくて大学に行かせたいと思うのですが、なにせ大学にやるお金がないため学費を払うことができませんでした。
 
 そこで、まさおくんは跡継ぎがないという京都のある寺を継ぐことを条件に、そのお寺から学費を出してもらって大学に行くことになったのです。
 
しかし、寺の毎日の修行がとても辛くて、とうとう修行に耐えられなくなり、ある夜、寺をそっと逃げ出してしまったのです。
 
足早に、家路を急いで家に帰ると、母親はこんなことでは息子のためにならんと思い、息子の将来のためを思い冷たい仕打ちをしたのでした。
ご飯もろくに食べさせず、寝るときには、外の小屋の藁で寝かせたのでした。
 
 まさおくんはあまりにも冷たい親の仕打ちに、何て冷たい親であろう。
あれは親でなく鬼じゃと思ったのでした。
あくる日まさおくんはそっと家を出て行きました。
 
「もう二度と、こんな家に戻るものか。もう親とも思わない」
 
と思いこんな家にいるならまだ寺におった方がましだと思い、寺に戻っていきました。
 
 それから8年間、手紙の一枚も、はがき一枚も出さなかったのです。
するとある日、まさおくんに電報が来たのでした。
その電報を住職が見て住職は
 
「早く帰りなさい」といってくれました。
 
 しかし、まさおくんは家には帰りたくなかったのです。
もう二度と帰らないと思った家だったのですが、住職がいうのでしかたなくのろのろと家に帰っていたのです。
 
 8年前、家に帰るときには、自然と足早になったのですが、今度はなかなか前に足が進まず、のろのろとようやくのこと家に着いたのでした。
父親は「まさお、遅かったな。なんでもっと早く帰らなかった。母さんは、まさおはまだか、まさおはまだか、まさおの顔がみたいいの、顔がみたいのうといい続けておったのじゃぞ。何で、もっと早く帰らなかったか」と母の思いを伝えたのでした。
 
 まさおくんは
「早く帰る気がなかった。自分たちはぬくぬくと温かい布団で寝て、わたしをわらに寝せるような鬼のような親のところには二度と帰りたくなかった」
 
「まさおそれを言うか。そんなら言おう。母さんは、ぬくぬくと温かいところで寝ておったと思っていたかもしれないが、一晩中起きておって、まさおはへんな気は起こさないだろうか。風邪は引かないだろうか、腹はへっておらんだろうかとずっと心配して見守っておったのじゃぞ。
 そしてお前がそーと家を出た後は、一晩中、畳をかきむしって泣いておった。親とうものは自分がどんなに犠牲をはらっても、子の幸福を願うものじゃ。子供の幸福のためならば、ときには鬼にも蛇にもなるのだよ」
と説教をしたのでした。
 
 
 「神は、永遠の父、久遠の母」
 
 神は、永遠の父であり、久遠の母であります。常にわれらに智慧を授けられて、常に愛を持っておられます。それはふりそそぐ太陽となり、全てを産んで育み給うのです。
 
 これが、私達の父となり、母となって護り、愛してくださっているのです。
親の愛は時には峻厳であることもあります。
 
 甘えた環境だけでは、ウドの大木の如く、少しの風でもすぐに倒れてしまう軟弱なものになってしまいます。時には厳しく、時には優しく包んでくれるのが父母の愛であるのです。
 
父母の愛は神の愛でありいつでも、どこでも私達を見守り、救っておられるのです。
神の愛と親の愛は一つであるのです。
 
 実に、神は今ここに在し給うのである。わが周囲に、わが上に、わが右に、わが左に、わが前に、わが後ろに、わが内に、一切のところに。
 私は、今それを深く深く、如実に感ずるのである。わが呼吸は、神の呼吸であり、わが脈搏は神の生命の鼓動である。神は一分も、一秒も、一瞬も、私を離れ給うことなく、私を護って居給うのである。
    
     (生長の家創始者谷口雅春先生著『真理の吟唱』より)
 
 
 「機法一体」
 
仏教の言葉に「機法一体」という言葉があります。
「機」は心のことで、「法」は仏の説く「教え」をいいます。
仏や神の教えを聞くことで、自分の今の心の有様を知ることができ、現在の状況から救われるという事なのです。
 自分の心のありように気付き、仏の心と一体となろうとすること、即ち、「あっそうか」と気づき仏の心と一つになろうとすることが救いとなって幸福が実現されるのです。
 仏や神の心と合わせて自分の心を見つめることがとても大事なのですね。
 それが「機法一体」ということなのではないでしょうか。