「 我 既に富めり! 」

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「あなたのうちに一切がある」

 生長の家では、「神様は、無限の愛であり、無限の知恵であり、無限の善であり、無限の供給である」と教えています。

創始者谷口雅春先生は次のようにお説きくださっています。

今・此処に自分のうちに神が在すのである。

神は無限の善であり、無限の愛であり、無限の知恵であり、無限の供給であるから、今・此処に無限の善が無限の祥福が自分の内にあるのである。

キリストは「神の国は汝の内に在り」と教えている。
まことにも、あなたの内に一切があるのである。

 それなのに外にそれらのものがあると思って、自分の内を磨くことをしないで、外にそれを掴もうとするところに間違いがある。

それは恰も映画のスクリーンに向かって、スクリーンにある映像をつかもうと思って飛びついて行くようなものである。

                          谷口雅春先生著『希望を叶える365章』 


 既に、自分に内に素晴らしい一切の善きものがあるにもかかわらず、外にそれを求めて右往左往しているのでは、いつまでたっても本当のものを掴むことができないのです。

幸福を実現するためには

「自分は無限の富者なり」

「我既に富めり」との自覚が必要なのです。

 ここにコップの中に半分だけ水が入っているとします。

あなたは、このコップに水が半分しかはいっていないと思いますか。
それとも、まだ半分も入っていると思いますか。

考え方ひとつで、でてくる現象が大きく変わって来ることに気づかなければなりません。

たとえば、ある夜、家に帰ってきて、ブランデーを飲もうと思います。

ところがボトルをみると中身が半分でした。

「ずいぶん飲んだようだが、まだ半分も残っているから、一緒に飲もうよ」

と奥さんに声をかけるかもしれません。

「わたしも飲んでもいいの?」

「もちろんさ。一人で飲むよりは二人で飲んだほうが楽しいからね」

こう言えば奥さんも

「それじゃ、ちょっと待ってね。今、何かおつまみを作ります」

'''と機嫌良く支度をしてくれます。

ところが、

「なんだ、もう半分しかないのか。お前、俺のいない間に飲んだだろう!」

「なにを言ってるの!バカバカしい。私はそんなもの飲みません。自分が飲んだんでしょう!」

「うるさい、黙ってさっさとつまみを作れ!」

「何よ!食べたかったら自分でかってに作ればいいでしょ。私は忙しいんだから」

これは、自分が心が「既に富めり」として心が豊かであるか。

現象の事物に心がとらわれ右往左往して心を乱してしまうかで、出てくる現象がこんなにも違うことを発見することが出来たと思います。


常に心を豊かにして、周りの人や、身近な人に「無限の愛」を与えてください。

そこに、幸福で豊かな世界が必ず開けて来ると思います。